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  • 「河野玄斗は努力型」と言いたい後輩

    2026年4月19日

    大学受験と中学受験では、ゲームのルールが根本から異なります。しかし、時系列として中学受験が先に来るため、そこに深くコミットした人ほど「理数センスがある人間こそが格上だ」という先入観を、大学受験まで引きずってしまいがちです。

    先日、灘高の後輩と話した際、「河野玄斗さんは開成と筑駒に落ちているらしいですね。努力型なんでしょう」という話題になりました。ここで彼が「努力型」という言葉を、決して尊敬の意味で使っていないのが重要なポイントです。

    東大寺学園、甲陽学院、海城、駒場東邦。

    このクラスでどれだけ成績が良くても、「所詮中学受験では負け組」と心の底では下だと思っています。

    中学受験で灘や筑駒といった超難関校に受かってしまうと、それより下位の高校でどれほど成績の良い人間が出てきても、心の底ではどこか認めきれないという心理が働いてしまうのです。

    灘や筑駒から理三に現役で進学した人から見たら、一浪でこれらの学校から理三に進学した人は、どこかで同レベルだとは思ってないはずです。駒場東邦や東大寺から東大と灘や筑駒から東大では格が違うとどこかで思ってしまっています。

    しかし、大学受験はあくまで独立した試験であり、結果こそが全てです。
    「理数センスがあるのがかっこいい」というある種の誤謬から、どれだけ早く抜け出せるか。泥臭く努力できるか。それこそが、大学受験というゲームを制する鍵です。