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  • 教育者を自称する受験指導者の滑稽さについて

    2026年4月6日

    大学受験の指導現場において、指導者が「教育」という崇高な理念や「教育者」としての顔を過度に強調することに滑稽さを感じるのは、現在の社会構造を冷静に見れば明らかです。

    今の日本において、大学進学は本来の知的な探究のためというよりも、あくまで「社会的な階層を駆け上がるための手段」として機能しています。この実利的なシステムを前提としたとき、受験指導の本質は人間形成というよりも、いかに効率よく高得点を取らせるかという「技術の伝達」に他なりません。

    事実、国内最高峰である東大や京大の合格者層を見渡しても、純粋にその学問を愛し、研究を志している学生は、せいぜい全体の2割程度ではないでしょうか。残りの8割は、その後の就職や社会的ステータスを有利にするための「通行証」として学歴を求めているのが現実です。

    このような上昇志向のゲームを支える立場にありながら、その功利的な側面から目を逸らし、安易に「教育」という言葉で装飾する姿勢に、強い違和感や欺瞞を覚えてしまうのです。

    私は大学で教える時はともかく、メジュソンで指導をするときはあくまでも「受験の情報屋」だと思ってます。