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  • 東大理三首席

    2025年12月17日

    かつて私が鉄緑会で指導していた生徒の中に、東京大学理科三類へ首席で合格した非常に印象的な生徒がいました。理三の首席合格というと、多くの人は「生まれつきの天才」「突出した地頭の持ち主」といったイメージを抱きがちです。確かに一部のケースでは天賦の才が大きく影響することもありますが、実際には必ずしもそうではありません。この首席合格者の例も、それを裏付けるものでした。実際に私は、この生徒と同時期に学んでいた灘高校出身の生徒たちと比較してみることがありましたが、純粋な地頭の面だけで言えば、首席合格者を上回るポテンシャルを持った生徒も複数存在していました。つまり、彼が首席に立ったのは単なる天才ゆえではなく、別の要素が非常に大きく作用していたのです。

    では、この生徒が他の優秀な生徒たちと一線を画したのは何だったのでしょうか。まず、英語力の突出ぶりが挙げられます。彼は学内外の模試や過去問において、常に110点前後という非常に高い得点を安定的に記録していました。しかも、ただ単に得点が高いだけでなく、その解答の精度や論理の整合性が非常に緻密で、まるで一つひとつの設問に対して完璧を求めるかのような慎重さがありました。英語の理解力と表現力の高さは、単なる暗記では補えないものであり、この段階で他の生徒と明確な差がついていたと言えます。

    さらに理数科目における学習姿勢も特筆すべきものがあります。彼は問題を解く過程で、一切の妥協を許さず、答えに至るまでの論理や手順の正確性、さらには途中経過における計算の確認に至るまで、徹底的に自分を律していました。普通の生徒なら「これくらいで十分」と妥協してしまうような箇所でも、彼は必ず再確認を行い、完成度を極限まで追求していたのです。その姿勢は、まるで自らの学習を精密機械のように管理しているかのようで、周囲の指導者である私ですら感嘆させられるほどでした。

    総合的に見れば、この生徒の真の強みは、生まれ持った地頭の良さだけにあったわけではありません。もちろん、基礎学力や論理的思考力は一定以上備わっていましたが、それ以上に際立っていたのは、圧倒的な努力量と自己管理能力の高さです。彼は常に自分の学習の進度や理解度を客観的に把握し、必要な修正や改善を怠らずに行っていました。その結果として、他の優秀な生徒を追い抜き、東京大学理科三類の首席という非常に高い目標を達成することができたのです。言い換えれば、この首席合格は「天才の偶然」ではなく、緻密に積み重ねられた努力と戦略的自己管理の産物であったと言えるでしょう。