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  • 【灘→京医→鉄緑講師】学歴や出身校の意味

    2025年7月11日

    高学歴の人が考えがちなほど、学歴というものは決して万能で完璧な指標ではありません。たとえば東大や京大を出ていても、実際には仕事で成果を出せなかったり、コミュニケーション能力に難があったりする人は少なくないものです。学歴だけで「この人は絶対に有能だ」と断言するのは危うい部分があります。
    また教養レベルにしても学歴は「所詮18歳での通過点のパフォーマンス」であります。40歳の人であれば受験から22年経っているわけですから、この期間の学びの方が圧倒的に重要です。高学歴な人であまりにも細かく偏差値や難易度のランキングを決めたがる人はメタ的な頭が悪いと感じます。それが「感情論」だと自分の心理をメタ認知できていないからです。(要するに、人をランキング付けするのが目的になってるということ)

    40歳や50歳の人を学歴で判断する意味があるとしたら「確率」的な意味です。
    過去のパフォーマスとは言え、高学歴な人は低学歴な人より優秀な「可能性」は高いでしょう。そういう意味での判断は正しい。しかし、それはあくまで確率であって具体的な〇〇さんというレベルの人の評価とは違うでしょう。高学歴な人は学歴を過剰に個人レベルで当てはめがちであり、それが頭が悪いと感じます。過剰に勉強したサンクコストでしょう。
     
    しかし一方で、学歴が低い人がときどき主張するように「学歴なんて全然意味がない」「学歴は全く当てにならない」と言い切れるほど軽い指標でもありません。たとえば企業の新卒採用で、全く学歴を見ない会社はほとんどありませんし、公務員試験や就職などでも学歴は前提条件や足切りに使われることがあります。こうした「ある程度の知的訓練を受けてきた」ことを保証する最低限のフィルターとして、学歴は依然として社会的に重要な役割を果たしています。
    私自身も、例えば採用面接などで応募者を選ぶ立場になった際に、学歴だけで人を判断するのは避けつつも、まったく無視することはできません。「マーチ以上」と判断するだけで膨大な数の応募が現実的に絞り込めるからです。結局のところ、学歴は万能ではないけれど、社会的に「最低限の基準」を示す必要条件としては非常に信頼性の高い指標だと感じています。
    高学歴な人はサンクコストで学歴を過剰に評価しがちであり、低学歴な人は感情論の負け惜しみで学歴を過剰に低く評価しがちです。
    真理は中庸にあるのです。(cfアリストテレス)