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大学受験は労働者階級の戦い
2025年7月1日先日、代々富裕層の資本家の社長さんと話をしたときに、非常に印象的なことをおっしゃっていました。(その社長さんは明治期の財閥系企業創業者の末裔です。)
「基本的に大学受験っていうのは労働者階級や中間層の戦いなんだよ。超富裕層は小学校から慶應や青学、成城学園みたいな附属に入れて一貫で卒業していく。でも、超富裕層なのに東大や京大のバッジをつけてたら、それはそれで超かっこいいよね」と笑っておられて、なるほど社会構造の本質を突いているなと感じました。つまり、日本の社会では「大学受験」があたかも人生の最大の分水嶺のように語られる一方で、実際には超富裕層にとっては「最重要課題」ではないということです。
彼らは小学校受験や中学受験の段階で、すでに進路を決めてしまい、大学までの進学ルートを確保しています。慶應義塾幼稚舎や青山学院初等部などには、超富裕層の子供が多数通い、そこからエスカレーターで大学まで進学することで、同じ社会階層の人脈を維持します。これは単に学歴を得るためというより、階層を再生産する仕組みとして機能しているのです。一方で、東大や医学部を目指して熾烈な受験競争を繰り広げるのは、いわゆる中間層や上昇志向の強い層が多いです。
東大や京大の看板は、日本社会で最も強力な「能力証明」であり、そこから官僚、大手企業、外資系投資銀行、コンサルティングなどのキャリアへ進む切符を手に入れることができます。
ただし、これは「既に経済的にトップ層の人たちが競っている」というより、「2番手以下の層でトップに立ちたい人たちの戦い」という側面が大きいです。非常に象徴的だと感じるのは、大手予備校・代々木ゼミナールの社長さん自身が、子供をインターナショナルスクールや私立小学校に通わせているという話です。
日本の受験産業のど真ん中で「大学受験」を売って商売をしている立場なのに、当人は自分の子供をそこに乗せないのです。なぜかというと、結局、超富裕層にとっては「日本の大学受験」という土俵自体がリスクヘッジの効かない勝負であり、また将来的な人脈形成やグローバルな選択肢を狭める可能性があると見ているからです。
インターナショナルスクールに通わせれば、英語力は当然身につき、将来の進路も海外大学など幅広くなります。さらに、周囲も企業オーナーや経営者層の子供ばかりで、資本家階級同士の人脈が形成されます。もちろん東大や京大という肩書きが超富裕層にとって全く無意味かといえば、そんなことはありません。
「超富裕層で東大卒」というのは、圧倒的なブランド力を持ちます。
しかし、そこを目指すのは「趣味」や「箔付け」に近い話であり、生活のために必死で受験するわけではありません。
社会構造的に見ると、東大や京大は「経済的には2番手グループのトップ争いの舞台」であると言えます。
むしろ、富裕層にとって本当に大事なのは、小学校・中学校段階で同じ階層のコミュニティに子供を入れてしまうことです。
その時点で、受験を経ずともある程度の地位と人脈が保証されます。こうした話を聞くと、日本の受験産業がいかに「社会階層の再生産」に組み込まれているかを痛感します。
大学受験を頂点に置いた物語は、大多数の中間層にとっての「希望の物語」である一方で、経済的首位層は別のルートを歩み、その構造を温存しています。
この視点を知るだけでも、私たちが「教育」「学歴」「受験」というものをどう捉えるべきか、考え直すきっかけになるのではないでしょうか。