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勉強の才能について
2026年1月9日弊塾では、勉強は先天的なポテンシャルの影響が非常に大きい分野だと考えています。
知能、体力、集中力などは、「努力しよう」という意思だけで自由に獲得できるものではありません。スポーツや芸術と比較すれば、勉強にも適性や才能が必要であることは本来きわめて自明です。にもかかわらず、なぜか勉強に限っては「才能ではなく努力で何とかなる」と強調する人が一定数存在します。そうした人は往々にして「自分は才能がなかったが、努力でできるようになった」と語ります。
しかし、そこで見落とされているのは、「適性」や「才能」にはグラデーションがあるという事実です。
スポーツでも、メジャーリーガーに必要な才能と、甲子園に出場するために必要な才能は同一ではありません。しかし、どちらにも才能が必要である点は変わりません。同様に、東京大学理科三類や京都大学医学部に進学するための才能と、早稲田大学に進学するための才能は水準こそ異なりますが、いずれも才能が必要であることに変わりはありません。才能とは絶対的なものではなく、常に相対的な概念です。
たとえば、海城高校や駒場東邦高校で平均的な学力の生徒が理三を目指す場合、その勝負の土俵においては「才能がない側」に分類されるでしょう。一方で、同じ生徒が早慶やMARCHを目指すのであれば、「才能がある側」に入ることになります。
つまり、勝負するグレードによって、同じ能力でも「才能がある側」にも「才能がない側」にもなり得るのです。
「私は才能がなかったが、必死に勉強して東京大学に入った(だから勉強に才能なんて関係ない)」と語る人は、東大生の中では相対的に地頭が悪いだけであり、一般的な基準で見れば才能がないはずはありません。
才能の有無を語る際には、必ずその比較対象と土俵を意識する必要があります。