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  • 受験勉強で身に付いてしまう労働者根性

    2025年7月23日

    先日、知り合いの会社経営者の方と話をしていた際に、「経済の構造を冷静に見れば、やはり資本を持っている側、つまり株主や経営者といった“資本家”こそが最終的な勝ち組であって、労働の対価として賃金を受け取る“労働者”は構造的には負け組なんだよ」といった趣旨のことを言われました。そのうえで、「だけど医師や弁護士の世界って面白くて、経済的には企業に“雇われている”側の立場なのに、むしろそちらの方が社会的に高く評価されるという、ちょっと逆転した価値観の中で成り立っているよね」と続けられ、たしかにそれは一理あると深く納得させられました。

    たとえば、大手法律事務所に勤める若手弁護士や、大学病院に勤務する医師のような人たちは、形式的には“雇われている側”であるにもかかわらず、高収入でステータスも高く、世間的にも「勝ち組」として見られがちです。ところが経済の原理原則から見ると、彼らがどれだけ高給を得ていても、それはあくまで“時間と労働力を切り売りして得た報酬”に過ぎず、株式配当や不動産収入のように「自分が働かなくてもお金が入る構造」からは距離があります。つまり、「高級労働者」ではあっても、「資本家」ではないという点で、構造的な限界を抱えているとも言えるのです。

    私たちのように、いわゆる“庶民”として育ってきた人間の多くは、親がサラリーマンや公務員、あるいは現場で働く労働者であることが多く、幼い頃から「学校で良い成績を取って、良い大学に入り、大企業や安定した職場に就職することが人生の成功ルートである」という価値観を自然と刷り込まれながら育ちます。その結果、自分が将来、企業を経営したり、投資を通じて資本を運用する側に立つという発想自体がそもそも浮かびにくくなってしまうのです。言ってみれば、「労働力を提供して報酬を得る」という生き方しか想像できないような“雇われマインド”が、無意識のうちに形成されているのです。

    さらに深く考えると、受験勉強という制度自体も、そうした価値観を強化している面があるかもしれません。日本の教育システムは、「与えられた課題に真面目に取り組み、決められた答えを効率よく導き出す能力」を重視するように設計されており、ある種の“従順さ”や“指示待ち体質”を助長する仕組みとも言えます。受験勉強に膨大な時間とエネルギーを注ぎ込むことは、たしかに一定の知的訓練になりますが、その代償として「枠の外で考える力」や「自分でリスクを取って意思決定する経験」が削がれていくリスクもあります。

    こうした構造を意識せずに生きていくと、自分の人生の選択肢を知らず知らずのうちに狭めてしまっている可能性があります。「自分は“雇われる”立場でしか生きられない」と思い込んでしまうことこそが、もっとも大きな制約なのかもしれません。経済的な自由や自立を目指すならば、まずはそのマインドセットの存在に気づくことが出発点なのだと、改めて感じさせられた出来事でした。